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●桑原茂夫 個人誌「月あかり」情報

第2号発行:

気分としては第1号の続きです。
第1号では、画家・井上洋介さんのタブローとじっくり向き合っての特集でしたが、第2号はひとりの母親の走り書きメモをもとに、深くリスペクトしてきた作家・山田風太郎さんから刺激を受け(というか、率直な思いとしては励まされ)ての特集となりました。
デザイナーの大津永介さんが原稿とビジュアル資料をじっくり見たうえで「今回は全ページ、これでいこう」と珍しく強く主張し、こちらもそのほうがいいかも、と思い切った構成になりました。まあこういうところが個人誌のいいところでもあります。そして大津さんはデザイナーとしての能力をフル回転させ、予定より早めに印刷データを仕上げてくれました。ところが――
印刷所への入稿を済ませた直後に、体調を崩し入院、そのまま、すーっと旅立ってしまいました。この「月あかり」第2号はデザイナー・大津永介さんの遺作ともなったわけですが、仕上げてから大津さん曰く――この第2号は夏、戦を思う季節になったら、さらに読まれることになるよ、と。

その通りかもしれません。なんとか広めていきたいと思っています。皆さまのお力添えを、あらためてお願いする次第です。

◆【まえがき】から

第一号では井上洋介さんのタブローをめぐって、種村季弘さんや馬場あき子さんたちの鋭い表現に言及しながら、あっちへ行きこっちに戻り、けっこううろつきましたが、幸い、よく読んでいただきまして、大いに励まされました。 そのとき記した戦(いくさ)の「炎」が、どんどん燃えさかってきて、キレイゴトではない、リアルないくさを描きだしてみようと――

 

◆【あとがき】から

山田風太郎さんの『戦中派不戦日記』のこと――

山田風太郎さんは同書まえがきで記す。「いうまでもなく日本歴史上、これほど――物理的にも――日本人の多量の血と涙が流された一年間はなかったであろう。そして敗北につづく凄じい百八十度転回――すなわち、これほど恐るべきドラマチックな一年間はなかったであろう」と。ところが公にされる記録には「民衆側の真実の脈搏を伝えた記録」がほとんどない。「真に書かれるべきは、家族も家も職も、或いは本人の命さえ奪われた多くの人々の記録であったろう。ただ、その人々の多くは、そういうギリギリの立場のために日々このような閑文字を残す余裕がなかったに相違ない」。それで、当時二三歳の医学生だった自分の日記を公にすることにしたのだ、と。ここには井上洋介さんの言うキレイゴトはない。それどころではなかったのである。神のクニのマボロシに、すっぽり包も込まれているし、時々そこに疑問を投げかけたりもしている。
    芝白金台の町が焼夷弾で焼かれたとき、消火にあたって周囲を叱咤していた在郷軍人が「白金台町には神様がついておる。決して燃えん、神様がついておるぞお」と叫ぶシーンがある。山田風太郎さんは、これが「たんに激励のためでなく、ほんとにそう信じているとしか見えない形相だ」と思って見ていたが、すぐに、消火活動に加わろうと「宙を駈けた」という。まさにこれも戦のリアルではないか。キレイゴトではないのだ。
    いままた戦の時代を迎えて、このようなリアルが次々に書かれ、描かれ、戦を知らなかった人たちのこころを動かすことができれば!   とこれは本気で思うのだ。
    ちなみにぼくは若いときから山田風太郎さんの愛読者だったが、この本に出あったとき、まずはビックリし、すぐに、さすが!  とひざを打ったものである。

◆【CONTETS】

●赤紙が来た!――母の手記とオトーサンの出征のようすを重ね合わせて戦のリアルを見る。

頒価は各号500円ですが、5号分(5冊分)ですと2000円に割引します。

送料および郵便振替での手数料はこちらで負担します。

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