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詩集

『いのち連なる――じんるい学序説』(詩集、桑原茂夫、思潮社、2005)  
 

収録作品から
愛(うつく)しき言(こと)


聞かせてよ 愛しき言
愛しき言尽くしてよと
きみはささやく。
耳にしみいるそのささやき
そのささやき はや
ぼくの海を波うたせる。
耳の奥深くあふれる
ぼくの海にうねりを
愛しきうねりを起こし
耳の奥深く広がる
無数の毛をそよがせ
ひらひらといっせいにそよがせ
太古からの記憶を
無数の毛に降り積もった
太古からのじんるいの記憶を
よみがえらせる。
その記憶 はや
ぼくの海はさらにここちよく
ここちよくうねり
ぼくはじんるいであることを知る。
そして愛しき言を
愛しき言をきみにささやく。
愛しき言のかぎりなく愛しく……

『月あかり・挽歌』(詩集、桑原茂夫、書肆山田、2007)  
 

収録作品から
無言の世界


月の光をあびながら
きみが語ろうとしている
あの夜更け 何が起こったのかを
しかしぼくには聞こえない
あの夜明け 何が起こったのかを
語ろうとしているのは見えるのに
月の光はきみのことばを
のみ込んで
おおきくふくらんでゆく
それなら月の光をこまかく
くだいてばらばらにして
きみのことばをひろいたい
しかし
月の光はきみのことばを
のみ込んでさらに明るく
無言の世界をひろげているのであった

『ええしやこしや』(詩集、桑原茂夫、思潮社、2010)



二〇一〇年夏、鎌倉に住んでいる画家の合田佐和子さんを誘って、葉山の一色海岸で催される宴に行った。その宴は「こまっちゃクレズマ」というユニットが、歌手のおおたか静流さんをゲストに迎えて、一軒の「海の家」で展開するライブである。合田佐和子さんは、ぼくが推奨したおおたか静流さんのCDを聞いてすぐに気に入り、たまたま葉山でライブがあることを知らせると、葉山なら鎌倉から近いのでぜひ、と一緒に向かうことになったのである。
海の家には、すでに臨時のステージが組み立てられていた。ぼくたちはそのステージのすぐ前のテーブルに座を占め、さっそく売店で求めたワインやジンジャエルをたのしんだ。そして、夕暮れどきの沖合いに目をやり、あかく染まる雲が、その色や形を少しずつ変えていく時々刻々を、ゆったりと味わっていた。
やがてライブの準備が整うと、ユニットリーダーの梅津和時さんのサックスから、ちょっとものがなしい音が滲み出るように広がり、アコーディオンやバイオリンからそれに呼応する音が奏でられ、ドラムが心地よいリズムを刻んだ。これまで静かだった空間が、たちまちにぎやかなサウンドで埋められていく。
そしておおたか静流さんが現われる。赤い花の髪飾りを挿し、黒い衣裳を身につけ、舞台中央にすーっと立ち、両手で宙を包み込むように舞いながら歌いだす。
背後の雲は濃いあかね色に染まっていく。
大自然をそのまま舞台装置にしたスケールの大きさに、ワインの酔いが重なって、おおたか静流さんの歌声が、はるか沖合いからわたってくるように聞こえる。濁りのない歌声は、波の音も吸い込んで海辺いっぱいにひろがっていく。
雲のあかね色はさらに濃くなっていき、みるみる黒く染まっていく。ぼくはふと錯覚におそわれる。舞台の背後に漆黒の幕が張られているという錯覚。はっと気づく。もちろん幕などどこにも張られていない。濃い闇がさらに濃くなっていくばかりだ。
舞台を照らし出すのは裸電球だったのだが、どんな照明装置よりもこのライブにふさわしく、ミュージシャンたちひとりひとりを闇夜に浮かび上がらせていた。
やがてライブはひと区切りの時を迎え、おおたか静流さんやミュージシャンたちは舞台から、すっと退く。
しかし、海の家いっぱいに埋まった人びとからの拍手は鳴り止まない。
それに応じて舞台に戻ってきた梅津和時さんが話しかける――せっかくこういうところに来たんだから、下に降りましょう、と。
下には砂浜がひろがっている。
波が打ち寄せる砂浜で、ミュージシャンはてんでに居場所を決め、梅津さんの合図でジャズを奏ではじめた。薄明かりを頼りの波打ち際のジャズだ。
なんとも魅惑的な時間が流れる。海と空と闇と、すべてが一体となった大自然にやさしく包み込まれる気分が心地よい。
ひとりの若者がリズムに乗って踊りながら、波打ち際から海に向かって進んで行く。
ライブはまさしく海辺の宴になり、宴は果てしなくつづくようにさえ思えた。
それでも楽器が鳴り止み、沸き起こった拍手もしずまると、夜の静けさと波の音が、ぼくたちをのみこもうとするかのように、迫ってきていた。
海の家に戻り、さっきまでライブをたのしんでいたテーブルに坐った。
同じテーブルに、おおたかさんや梅津さんたちも坐り、ワインを注いで、海辺に今夜こうしていることを讃えて乾杯した。。
終わりのないこの宴に、心地よく身をゆだねながら、ぼくは、すでに遠くへ旅立っていってしまったはずのひとが、海をわたって近づいてくるのを感じていた。ぼくが呼び寄せたのだろうか。宴に酔ったぼくは、なつかしさでいっぱいになった。
そんな自分をぼくはからかいながらうたう――いい加減にしなさい、バカだねえ、おバカさん――ええしやこしや、しやこしや――と。
宴は終わらない。そしてぼくは、ぼく自身の宴のウタをうたいつづける――ええしやこしや、しやこしや――と。

『CD『月あかり・挽歌』 
 
 カマル社から発売中。定価=2,100円(消費税込み)
 詩=桑原茂夫 作曲と歌=安保由夫 編曲=浦山秀彦
 演奏=安保由夫、浦山秀彦、向島ゆり子、張紅陽
 

唐十郎主宰の状況劇場で、その劇中歌などを数多く手がけた安保由夫の初のソロアルバムです。桑原茂夫の詩に安保由夫独自の世界感をプラスし作曲、自ら歌うという初の試み。朗々と、そしてせつなく歌い上げる安保由夫の声は、しみじみと人々の心の中に浸透し感銘を与えます。

編曲は、映画「GO」「濱マイクシリーズ」「世界の中心で愛をさけぶ」「憑神」等の音楽ユニット『めいなCo.』の浦山秀彦が担当しています。

注文方法=下記アドレス宛て必要事項を送信してください。
・氏名 ・住所、電話など連絡先 ・ご希望枚数
ご注文が届き次第、送金・送付方法などご連絡いたします。
アドレス=kamaru@luck.ocn.ne.jp

収録作品から
ええしやこしや



月のあかるい 夜だとて
こころがはれる わけじゃなし
それならいっそ このおもい
月に燃やして はらはらと
闇に溶かして さらさらと

きみと歩いた あの露地を
いまごろどんな ひとが行く
それともはかなく 消えうせて
いまじゃまぼろし 夢のみち
もいちど行きたい 夢のみち

夕陽がしずむ そのあとに
ぽっかり浮かぶ 摩天楼
そびえる柱に 石だたみ
ほのかに見える 夢舞台
きみが舞う舞う 夢舞台

闇ただならぬ 気配あり
闇の向こうに 誰かある
闇に向こうが あるものか
闇いっぱいに きみがいて
ひそかにじっと 待っている

うすくらがりに ほんのりと
ただようにおい 覚えあり
しっとり汗ばみ 香をはなつ
まごうことなき きみの肌
これはうつつか まぼろしか

つぎつぎに降る 流れ星
冬空とおく ながめてた
あの原っぱの 吹きさらし
あたためあった 手のひらが
いまよみがえる 手のひらに

『御田八幡絵巻』(詩集、桑原茂夫、思潮社、2012)  
 

爆音とともに夜空から際限なく
ばらまかれた焼夷弾に焼き亡ぼされ、
ずたずたにされた町を、
それでもよみがえらせようとする人びとの
思いが熱く交わり、
つかの間であれ豊かな時をつくりだした。
その渦中にいた少年が、
見たもの、感じたことを、
ひとつひとつ丹念にひろい出し描き出した、
ひと巻きの絵巻が『御田八幡絵巻』だ。
――この絵巻からは、その後「高度成長」で
あらためて根こそぎ亡ぼされ、
今では「幻」となってしまった、
豊かな町のざわめきが聞こえ、
いきいきと活動する人びとの表情が見える。
まるで、夢の未来社会なのである!
表紙カバー絵=合田佐和子
装丁=間村俊一
定価=2600円+税

『御田八幡絵巻』を南伸坊さんが絶賛!  
 

 南伸坊さんの『御田八幡絵巻』評

一頃、昭和三十年代が奇妙にブームだった。相撲なら栃錦vs若乃花、野球なら水原vs三原の時代。
東京タワーや新幹線、東京オリンピックで、東京が変わってしまう直前、その頃コドモ時代を過ごした世代にはとても懐かしい。
そうして、すっかり、その頃の風物が珍しくなってしまった世代が、ブームを面白がった。
今はどうなんだろう? 私は、あいかわらず懐かしいし、あの時代のモノやイメージを偏愛している。
「どうしてあの頃はよかったんだろう?」という問いに、よく返されていたのは「右肩上がりが信じられた時代」の「未来に対する希望」という答えだった。「たしかに貧乏だったが、あの頃は希望があった」と。
 が、私は前回とりあげた呉智英の『健全なる精神』にあった卓見「あの時代がよかったのは貧乏だったからだ」に激しく同意する。
『御田八幡絵巻』は、一九五〇年代つまり、あの頃を少年として過ごした桑原茂夫(元・現代詩手帖編集長)が描き出したすばらしい懐かし本である。
 あの時代に対する確かな目が桑原さんにも共通していて、この本を凡百の思い出本とはっきり一線を画している。
「(一九五〇年代は)圧倒的にモノクロームの時代だった。しかし、ぼくが記憶に刻み込んだ光景は、べったりとしたモノクロームではなく、濃淡の切れ目から、鮮やかな色彩が滲み出てくるような、不思議な深みを湛えていた」
「それは豊かさと言い換えてもよい」
 とは、著者の「まえがき」のことばである。
 一つ一つのエピソードはごく短い断片だが、これがつながっていくことで、あらわれてくる世界が、すばらしい。
 イキイキとしていて、まさに、あの時代の少年の目を、そのまま嵌めこまれたような新鮮な感動がある。
『御田八幡』は、東京の三田にある神社である。タイトルの字面が重々しいが、出てくる少年少女たちのいじらしさ、いや、子供だけでなく大人たち、オマワリさんやテキヤのおじさん、駅伝のヒルタ選手や、担任のスドウ先生、くじらやのおばさんと、出てくる人々の全てがいじらしい。
 その記憶力の切れ味が、鮮やかにイメージを喚起して、読み終わっても、フラッシュバックするようだ。
 桑原さんは、2歳の時の東京大空襲の夜を確かに記憶している人である。エッジのきいた記憶力は、話を抜群に面白くする。

(「サンデー毎日」2012.10.14日号、読書の部屋より)

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